息をかぞえて

禅・こころとからだ

2017-01-01から1年間の記事一覧

なだらかな息、ぶつからない心。

ずっと晴れ続きでしたが、うす曇りの空。ぐっと冷え、ここ国分寺では粉雪もぱらつきました。一年さいごの日、冬めいてきた感があります。 今年は学び多き年でした。特に塩澤賢一先生のヨーガから多くのことを学びました。ここ数年マイペースで続けていた坐禅…

相手にせず、邪魔にせず。

坐禅中やってくる雑念に対して、「相手にせず、邪魔にせず」ということが言われます。青木先生が何年も口ぐせのように言っているので、僕の中でも当たり前のこととして定着してきました。 日によって雑念の多い時少ない時、気になる時気にならない時があるの…

とある坐禅会

ひさしぶりに見ず知らずの坐禅会に行ってみました。寺や禅堂ではなく、外国人のカトリック神父さんが主宰されている会です。 カトリックの「空気」ってあるのだなあと思いました。場の空気ね。やわらかいヴェールで包まれているような。ただ静かなだけではな…

ヨーガの成瀬雅春先生

いま発売中の月刊秘伝1月号で、ヨーガの成瀬雅春先生の対談記事を構成しました。成瀬先生といえば「空中浮揚」。すわったまま1メートル近く宙に浮いてる写真がその昔週刊誌に載ったとかで、オウムの麻原やストⅡのダルシム、江頭2:50など、良くも悪くもさまざ…

Imagine no possessions?

m.youtube.com ジョン・レノン「イマジン」に"Imagine no possessions"という一節があります。「所有できるものはないのだと思いなさい」といったところでしょうか。歌の原案者といわれるオノ・ヨーコ風にいうなら。ヨーコさんの著書を見ると、幼いころに仏…

ウーフはウーフでできている

練馬区のちひろ美術館でやっている、故・井上洋介先生の展覧会に行ってきました。子供の頃から読んでた「くまの子ウーフ」の原画をたくさん見ることができました。ウーフの絵が、青い色づかいのものが多くて意外でした。にこやかで、ゆかいで、とぼけてるけ…

たのしそうな修禅寺

静岡の修善寺温泉に行ってきました。東京でも温泉の出るスーパー銭湯にはよく行くのですが、お湯の「度数」がやはり全然ちがいますね。発泡酒と芋焼酎くらい違います。修善寺の湯は濃くて熱くて体の芯に来ます。おかげで疲れがすっかりとれました( ´ ▽ ` )ノ …

「無門関提唱」山本玄峰

Amazonで古本を入手しました。箱無しということで相場の半額くらい。本そのものは書き込みも汚れもなく美品です。いい買い物をしました。箱を読むわけじゃないですからね。 「無門関」とは公案集で、「提唱」とは公案についての解説みたいなものです。本書は…

タンポポのようにすわる

塩澤賢一先生に教わっているヨーガの影響大、なのですが、さいきん反跏趺坐や安楽坐(スカアーサナ)を組んですわっていると、植物のような身体感覚が出てくるようになりました。 背骨が伸びると茎が空に伸びていく感じ。両脚と坐骨が落ち着くと葉っぱが広がっ…

金澤翔子書展

上野の森美術館で開催されている金澤翔子さんの書展に行ってきました。お金はらって書を見にいくのは初めてかも。絵や写真とちがって、書って何がすごくて何が良いかよくわからないんですよね。なんか皆エラそーだし。 翔子さんはことし32歳。「ダウン症の女…

山本玄峰老師その2

玄峰老師が住職をつとめていた三島の龍澤寺は、江戸時代にかの白隠禅師が再興した寺で、老師は「白隠の再来」とも言われていたようです。 仏教誌の「大法輪」だったと思いますが、図書館でみつけたバックナンバーに良い記事がありました。「白隠による示衆(…

山本玄峰老師

前回の続きです。うなぎの桜家さんに飾られていた山本玄峰老師(1866-1961)のもうひとつの書「母」。年を重ねるほどアリガタ久奈る? 希ガスとかの変換ミスではありません( ´Д`) 昔の人は当て字をよく使ったとか。「年をかさねるほど、ありがたくなる」ですね…

うなぎと禅

やぼ用で静岡県の三島市まで行ってきました。浜名湖も近いことだし、用がすんだら「自分へのごほうび」でうなぎでも食べようと。 三島ってコロッケがご当地グルメなんですね。「みしまコロッケ」ってハート形のコロッケ。コロッケを売ってた肉屋のおばちゃん…

頭ではわかってるんですけど?

いけないことだと頭ではわかってるんだけどやめられない、受け入れられないことってありますよね。飲むと変わるのに飲んでしまうとか。既婚者どうし好きになっちゃったとか。 僕のばあいブログに書けるのだと、最近は夜のポテトチップスとカップラーメンがや…

姿勢が良くなっていく

ずっと姿勢が悪いんです。小学校の健康診断では「脊柱側彎症(せきちゅうそくわんしょう)」を疑われました。その後、精密検査や治療を行なった記憶はないのでそのまま成長したと思われますが、いまウィキで調べてみたら「これ俺じゃん(゚Д゚)」みたいなレントゲ…

ヨーガの塩澤賢一先生

僕、ライターの仕事をしてるのですが、「月刊秘伝」という武道・武術の専門誌に寄稿していて、いま発売中の10月号ではヨーガの塩澤賢一先生についての原稿を書かせていただきました。テーマは「瞑想坐法」、つまり「すわりかた」です。 これ、坐禅やマインド…

おれの禅を邪魔するのは誰だ?

じっくり落ち着いてすわれる時と、そわそわ落ち着かない時があります。今朝はそわそわしてました。すわるやいなや「あの原稿プリントしなきゃ」とか「ガス料金払わなきゃ」とか、後でいくらでもできることを頭が催促してきます。督促状が重なるようで、いて…

ニンニクヤサイマシマシで。

坐禅を組んだ後はなんらかの気づきがあります。しょうもない気づきも多いのですが、今日は二郎のラーメンがこんもりと浮かんできました。ニンニクヤサイマシマシで。「ああ坐禅と二郎って似てるなあ」と。 (´・_・`) ドンブリ部分が首から下の本体。マシマシの…

沙門空海 唐の国にて鬼と宴す

夢枕獏の小説で、心ある人から薦められていたのですが、いやすごかったです。完結まで17年かかったとか色々とすごいのだけれど∑(゚Д゚) ひとつ挙げるなら「たっぷり坐禅を組んだ後に街を歩くときの感じ」が再現されている。空海は真言宗で禅宗ではないけれど、…

やさしさにチューニングする

つまらないことで腹が立ちます。どうでもいいことでクヨクヨする。たぶんどれも、ものごとがうまくいってる時はスルーできてる出来事です。 すわると少しらくになりますね。出来事との(心理的な)距離がすこし空く。直撃を受けなくなるし、考えを(近視眼的に)…

思いを逝かせてあげる

ジョージ秋山の「弘法大師空海」のセリフで「生きたまま成仏するのが人だ。人間だぞ」というのがあって、なんか心に残ってます。 「成仏(じょうぶつ)」というと迷信のようだけど、死んで極楽に往生することを望むのではなく、思い残すことなく生きて死ぬこと…

ジョージ秋山「弘法大師空海」

ジョージ秋山のマンガ「弘法大師空海」を文庫で読みました。1997年に集英社の「MANGAオールマン」で連載されていたんですね。幽体離脱、超能力、セックス。半分以上が秋山先生の体験談と人生訓なので、空海の学習マンガを期待してたマジメな読者はブッ飛ぶと…

脚と腰を取り戻す

組むと痛いし。正座は正座でしびれるし。すわる時、この両脚がとかくわずらわしく感じられました。ふだんもそうだな。ぶつけて痛い時とか、かゆくてかく時くらいしか、脚のことは意識しなかったかも。 「下半身」という呼びかたも、ちょっと下に見てますよね…

すわるまえの、ヨガ

股関節がカタくて。昔のガンプラなみの可動域で。両脚を組む結跏趺坐(けっかふざ)はおろか、片っぽだけの半跏趺坐(はんかふざ)もきつかったので、7〜8年ずっと、お尻に座布をはさんで正座してました。 まずそれが許される環境でラッキーでしたね。体験でまわ…

坐禅と温泉

先日、小田急ロマンスカーで箱根湯本まで行ってきました。 おそばを食べて温泉につかって、日帰り。 僕、長湯ができなくて、いつも2〜3分つかったらもういいやってなっちゃうんですけど、この日は途中から雷雨となったので、出るに出られず1時間くらい入って…

片手の拍手でズンズズン

只管打坐、数息観と話をしてきました。今回は公案(こうあん)です。 公案は一般には「禅問答」として知られていると思います。「無字」だとか、有名どころだと「片手の拍手を聞かせてみよ」とか。「一休さん」の「このはし、わたるべからず」。うーん、あれは…

一度にふたつはかぞえられない

1から10までくりかえし息をかぞえる、数息観の話。 数字には1→ 2→ 3という連続性があって、1ずつ増えていく。そこでは1+1=2、2+1=3といった「足し算」を連続的にしている。ここで足し算という「思考」をやめると「1たす1は、1と1」になる。2、3といった…

1たす1は、1と1。

数息観でもうひとつ。 このブログのタイトルでもありますが、数息観では「息をかぞえて」いきます。1から10までくりかえし、くりかえし。気が散るのを「次は2、その次は3」と数をかぞえることで、注意をとどめることができます。1→ 2→ 3→ といった「数の連続…

呼吸はいつでもマイペース

もうむかつくくらいにね。マイペースなんです。呼吸の話、数息観の話をします。吸って吐いてる息にあわせて、ひとーつ、ふたーつと1から10までくりかえし数える方法が「数息観(すそくかん)」。数をかぞえるだけなのでシンプルだし、宗教くささもうすいので、…

只管打坐ができるようになった その3

坐禅のブログをはじめてから「テキトーなことも書けないな」と、前よりまじめにすわるようになりました。いままた師匠のシスター青木から公案をいただいているので、公案に参じてもいるのですが、「公案に参じる準備」として数息観からやり直すことにしまし…