息をかぞえて

禅・こころとからだ

SNSで坐禅なんて…

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4月6日から8日までの3日間、フィリピン発のオンライン坐禅会"Universal Sesshin"に参加していました。

部屋でコンピューターをつけ、1回すわるごとにViberというSNS(LINEみたいなやつ)に"Ready to sit(これからすわります)" "Done Sitting(いまおわりました)"と報告し、朝6時半から夜9時半まで休憩をいれつつ、1日8時間の3日間。

 

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Sound Cloudに提唱(老師たちによる、公案禅についてのお話)もアップされていたので、合間、合間で聞いていました。すべて英語ですが、日本語のようなあいまいな言い回しがないので、英語がすこしできれば、日本語の提唱よりもロジカルでわかりやすいかもしれません。「無字」の公案での呼吸のしかたなど、とても参考になりました。

 

soundcloud.com

 

今回の"Universal Sesshin"には約150名が参加していたようです。全員がフルタイムの参加ではありませんが、フィリピンだけでなく、他の国や地域からの参加もあったようです。オンラインですからね。時差の壁はありますが(日本はプラス1時間だったので助かりました)、世界のどこからでもエントリーできます。

 

SNS坐禅なんて…」とさいしょは僕も値ぶみするような気持ちだったのですが、これが意外とよくすわれたのです。

 

まわりに誰もいないので、禅堂でみんなとすわるよりは自分に甘くなり、ごまかせる部分も出てはくるのですが、一度ペースがつかめると、もう関係なくなりますね。乗り込んだ飛行機からは降りられないように、「坐禅に連れていかれる」ように、なんだかんだ最後まですわれました。

 

ぼくも今、仕事が止まっていて、時間はもてあましているし、ロックダウンのうわさやらで外にも出づらくなっていたので、「こうなりゃ、とことんすわってみるか!」とか思ったりもしたのですが、ひとりだと2〜3時間が限度でした。途中で横になったら5時間くらい寝ちゃったり(笑)。ひとりで8時間すわれと言われても、たぶん無理です。とくに今のような、先のことが見えづらい時には。

 

やはり何かのきっかけというか、「みんなですわる」ということが、坐禅をおしすすめる力になるんでしょうね。距離の壁を超えてくるものがある。

 

今回の参加者にはカトリックの方々も多かったようで、「世界のために皆で祈りましょう」みたいな側面もあったようです。僕にはあまりその意識はなかったのですが、最終日の最後の坐を解くとき、すこしその気持ちが出てきました。見ず知らずの人たちの苦しみも想像できる、心のゆとりだったのかもしれません。

 

他人とはぶつかりあい、いがみあうこともありますが、いくらつっぱっても結局ひとりでは何もできないのだと、一時停止している世界の中で実感しています。おおきな目でみれば、助け合っていくしかないんですよね。ちいさなことでもいいから、具体的な行動で。

 

仕事であれ、生きかたであれ、今までやってきたことができなくなっているのなら、今までやってなかったけど、今からできそうなこと、今やるべきことを、みつける必要があるんでしょうね。もしかしたらそれは、今はまだ楽しいとは思えないことかもしれないけれど…。

 

※今回の坐禅会は”Zen Center Philippines"という団体の主催で、ここは鎌倉に本部がある在家の宗教法人「三宝禅」に属する団体です。僕は三宝禅の禅教師でもある、聖心会のシスターの青木義子先生に師事しており、今回も青木先生からのおしらせで、このあつまりに参加しました。

http://zenphilippines.org.ph