息をかぞえて

禅・こころとからだ

呼吸はいつでもマイペース

もうむかつくくらいにね。マイペースなんです。呼吸の話、数息観の話をします。吸って吐いてる息にあわせて、ひとーつ、ふたーつと1から10までくりかえし数える方法が「数息観(すそくかん)」。数をかぞえるだけなのでシンプルだし、宗教くささもうすいので、坐禅をはじめるのには一番良い方法だと思います。電車とかでもできるし。手足組まなくても、立ったままでも。

 

前も書きましたが、1から10までくりかえし続けるのが、意外とむずかしい。「…六ーっつ…むっつ…あれ、七つだっけ?」と途中で数が飛ぶ。飛ぶんです。

紙にも書かず、声にも出さず、つまり外部からの映像や音声の力を借りず、イメージだけで1から10まで数えつづけるのって、けっこう大変なんです(呼吸してるという触覚の助けは借りてますが)。外側に意識をむけずじっとしてるって、普段やらないから。

手足を使わずおしゃべりもせず、なんかムズムズ、イライラ。そのムズムズやイライラにどう対処すればいいか、これがまたわからない。

坐禅してない人でも、電車ですわってる時とか、じっとしてられないでしょう? 手持ちぶさた。何かせずにはいられない。

スマホいじったり音楽を聞いたり。外部から映像や音声の刺激をいれることで、ムズムズやイライラをまぎらわせる。スマホには指でタッチするという触覚の刺激もありますね。ゲームしてる人とかすごいですもんね。ブオーーーーーーー((((;゚Д゚)))))))ってすっごい勢いで何か飛ばしてる。タマみたいなやつ。

 

イライラやストレスもいっしょに飛んでけばいいのですが、「気晴らし感」みたいなものはあっても「頭スッキリ」とはならない。カッカ、ざわざわした感じが残る。ムズムズ、イライラのもとです。いわゆる「雑念」というやつ。これがそのうち「あれ食べたい、あそこ行きたい」とかの形をとり、あいかわらずの手持ちぶさたと結託して、食べログで検索を始めるとかの行動に移るわけです。

レビューのわりには麺がのびてたりすると、またイラついたり。おおもとのイライラの原因は「麺」じゃないんですけどね。ずっと放置している自分の雑念です。

 

この雑念とイライラのループを止めるのに、数息観は有効です。

 

吸って吐いてる息に1から10までの数を合わせていくことで数だけに専念する、息に専念する。結果、ムズムズやイライラに気を取られなくなってくる。ザワザワしてた頭が静まりはじめる。「あれ食べたい!あれ食べたい!あれ食べたい!」と雑念がしつこい時は、「あとで! あとで! あとで!」と頭の中で返します。これで案外黙ります。

 

この「あとで!」はどんな雑念にも効きます。「あとで!」もまた雑念なのですが、雑念で雑念を消すというひとつのテクニックです。で、大事なのは同時に「六ーっつ、七つ」と息をかぞえるのを忘れないこと。雑念を消すのが目的ではありません。呼吸に専念することです。

 

やってるうちに実感すると思いますが、呼吸ってマイペースなんです。すっごい鈍感なウシ?みたいな。こっちはイライラ、ムズムズ、腹ぺこなのに、我関せずと息をしている。どんな時も雄大に。失業しても、フラれても、不幸のどん底でも・゜・(ノД`)・゜・

本当にこっちの気持ちや事情にお構いなしなので、ちょっとむかつきますけど。でもたのもしいやつです。

 

呼吸が息をしている。こっちの事情にお構いなしで。この感覚がわかりだすと、数息観がおもしろくなります。