息をかぞえて

禅・こころとからだ

日記

坐禅は逃げない

広尾の聖心会での青木義子先生の坐禅会が10月から再開しました。新型コロナウイルスの影響で3月からずっとお休みでしたが、半年ぶりの再開です。しばらくは人数も限定してマスク着用となりますが、やはりここの礼拝堂はとてもすわりやすい!ふだんからシス…

坐禅のことは坐禅にきけ

新型コロナウイルスの影響で、坐禅会が春からずっと休みになっていて、週に一度、同じ曜日、同じ時間に、先生と参加者ですわることにはなっているのですが、都合が合わない週もあり、どうしたものかと思っています。 Zoomを使うという感じでもなく。 特に独…

SNSで坐禅なんて…

4月6日から8日までの3日間、フィリピン発のオンライン坐禅会"Universal Sesshin"に参加していました。 部屋でコンピューターをつけ、1回すわるごとにViberというSNS(LINEみたいなやつ)に"Ready to sit(これからすわります)" "Done Sitting(いまおわ…

すべてを失っても、なくならないもの

ブログの更新頻度はめっきり落ちましたが、坐禅とヨーガ瞑想は順調につづいています。 以前は接心や合宿で数日すわりつづけて訪れていた心身の状態が、朝の20〜30分で訪れています(そこからが本番で、まだまだですけど)。 聖心会の青木義子先生、アーディヨ…

自分のルーツ

つい最近のことですが、自分の父がたの家系について知る機会がありました。 うちは引っ越しが多かった核家族で、祖父は父がたも母がたも僕がうまれるずっと前に亡くなっていたので、おじいちゃんってどんなものかよくわからなかったし、それより上の世代のこ…

「見える」が映っているところ

前回からの続きで、なかなか理解してもらえない感覚かもしれないんですけど、さいきん「見える」ってすごいことだなあと思うようになってきています。 「聞こえる」「さわれる」「味わえる」「においがする」も。 「寒い」とか「熱い」と感じられることも。 …

レット・イット・ビー

「こころの声」って言うけれど、そもそもどこで聴いてるんでしょう? 耳ではないですよね。実際に音がしてるわけではないのだから。聴こえているのはその人だけで。常識的にかんがえると、脳のどこかで聴いている? 「聴覚野」とか呼ばれるところが、何かの…

自分が「自分の最悪の敵」となる時

「君には自分というものがない!」とよく叱られていたので、がんばって「自分」なるものを獲得しなきゃと「自我の確立」にいそしんできました。20代後半あたりから。ちょっと遅いですけど。でもいっとき「自分探し」ということばが流行していたので、まわり…

結局のところ、自分とは何か?

坐禅とヨーガの瞑想をぼちぼちと続けていて、僕の中でまだはっきりしていないのが「自分」です。「結局のところ、自分とは何なのか?」2018年もそろそろ終わりますが、去年同様、今年も持ち越しそうな課題です。 「寒い」「暑い」「痛い」などの「感覚」は刺…

自分のよりどころ、世界の中心。

自分のよりどころと世界の中心はおなじところで、そこを呼吸でさぐり、定めていくのが坐禅であり、瞑想なのだと思います。 最初のうちははっきりしないと思いますが、初心者だろうが短時間であろうが、禅や瞑想をやってる人、やってる時は、みんな必ずなんと…

人を助ける

山口県の山中で行方不明になっていた2歳の男の子を、78歳の捜索ボランティアの男性が見つけ、家族に送り届けたニュース。こんな生きかたをしている人もいるのだなあと考えさせられました。僕も含めて、今の人って、お金もうけとか売名とか、(ほとんど無意識…

オウムについて思うこと

オウム真理教の松本元代表ら7人の死刑が執行されたようですね。先月ごろから7月執行の噂を耳にしていたので、「ああ本当にやったんだ」とも思いましたが、「え、本当にやったんだ?」との驚きもあります。松本氏が死刑になることで彼を「殉教者」とみる人…

パパたちけて!

朝めざめるなりすっごく不安になってる時があって、「パパーたちけてー!」と思わずさけんじゃうんですよね。声には出さないけど、ふとんに抱きつきます。 父が亡くなってずいぶん経ちます。仲の悪い時期もありましたが、なんだかんだで今でも自分の「よりど…

善悪はポイントカードのように

トランプと金正恩の握手、いざ目にするとやはりビックリでした。韓国の大統領とのツーショットも信じられませんでしたが、それ以上のインパクト。文大統領は以前から「融和路線」の印象があったけど、トランプは「アメリカ最後の大統領\(^o^)/ 」と揶揄さ…

焦るのは心、安らぐのも心。

昨日のことですが、今晩から泊りがけの予定だった取材(2年ごしの悲願!)が延期となり、拍子ぬけしたような、ホッとしたような気分になりました。期せずして一日フリーの休日に。 そのせいか今朝は余裕を持ってすわることができました。ふだんは坐ってる時も…

寝ても覚めても。

ライターの仕事で対談の取材。伝統芸能の先生とスポーツ選手の顔合わせでした。 伝統芸能の先生が瞑想をやっているとのことで、私も体験。ほの暗く静かな中で、赤、黄、青、紫、線香花火のような光がチロチロ見えてきました。富山湾を泳ぐホタルイカのようで…

結跏趺坐できた!

坐禅を始めてもうすぐ10年になりますが、結跏趺坐ですわれるようになりました。 これ、基本のすわりかたなので、みんな脚が痛いの我慢して、ここから始めるのが普通なのでしょうが(笑)。 僕、足腰の関節が固すぎて、ガマンもなにも、組めなかったんですよね…

心の自然な状態〜禅とヨーガと瞑想と

坐禅とハタヨーガと瞑想。禅は青木義子先生(聖心会/三宝禅)の指導のもと、ヨーガと瞑想は塩澤賢一先生(アーディー・ヨーガ)の指導のもとに行なっています。全体的な指導は禅が隔週で、ヨーガが週1〜2回。最近はヨーガと瞑想の方が優勢になっていますね。 す…

最近のすわり

最近すわるのが楽になった気がします。ヴィパッサナー瞑想の合宿から1ヶ月。合宿ではいくつかの新たな身体感覚と意識の変容を経験することができたのですが、それらがならされ、まとまってきたのかもしれません。 それまでに塩澤先生のヨーガで「仕込み」が…

ヴィパッサナー瞑想の合宿

千葉の茂原で行われているヴィパッサナー瞑想(日本ヴィパッサナー協会)の合宿に行ってました。2/7夜から2/18の朝まで正味10日間。これまで多くの方々がさまざまなところで体験記を書いているので、瞑想センターの様子やコースのあらましなどは今さら書く必要…

枯れた花は「もやせるゴミ」?

黄色いバラなどの切り花をもらい、水をやり、部屋に飾っていたのですが、半月以上経ち花がしおれてしまいました。 花弁の中のおしべめしべや茎はまだ元気で、全体としてはまだ「生きている」ので、「もやせるゴミ」の袋に入れるのは気が引けました。数もあっ…

「毒親」のその先。

なぜすわるか? 僕の場合、そもそものきっかけは親との関係だったように思います。表面上は「何不自由ない家庭」だったけど、コミュニケーションがなかった。親は家庭や子供を管理することばかり考えていて、檻に閉じ込められているようだった。感情を自由に…

うれしい初詣

年が明けました。朝イチで短くすわり、天気も良いので洗濯して、自転車で近所の大国魂神社へ。おみくじは大吉。ここ数年どこで何を引いても末吉ばかりだったので、「やっと来たか」と。末吉って末広がりとか言うでしょ? 徐々に開けていく運勢。だから「今は…

相手にせず、邪魔にせず。

坐禅中やってくる雑念に対して、「相手にせず、邪魔にせず」ということが言われます。青木先生が何年も口ぐせのように言っているので、僕の中でも当たり前のこととして定着してきました。 日によって雑念の多い時少ない時、気になる時気にならない時があるの…

ウーフはウーフでできている

練馬区のちひろ美術館でやっている、故・井上洋介先生の展覧会に行ってきました。子供の頃から読んでた「くまの子ウーフ」の原画をたくさん見ることができました。ウーフの絵が、青い色づかいのものが多くて意外でした。にこやかで、ゆかいで、とぼけてるけ…

たのしそうな修禅寺

静岡の修善寺温泉に行ってきました。東京でも温泉の出るスーパー銭湯にはよく行くのですが、お湯の「度数」がやはり全然ちがいますね。発泡酒と芋焼酎くらい違います。修善寺の湯は濃くて熱くて体の芯に来ます。おかげで疲れがすっかりとれました( ´ ▽ ` )ノ …

「無門関提唱」山本玄峰

Amazonで古本を入手しました。箱無しということで相場の半額くらい。本そのものは書き込みも汚れもなく美品です。いい買い物をしました。箱を読むわけじゃないですからね。 「無門関」とは公案集で、「提唱」とは公案についての解説みたいなものです。本書は…

タンポポのようにすわる

塩澤賢一先生に教わっているヨーガの影響大、なのですが、さいきん反跏趺坐や安楽坐(スカアーサナ)を組んですわっていると、植物のような身体感覚が出てくるようになりました。 背骨が伸びると茎が空に伸びていく感じ。両脚と坐骨が落ち着くと葉っぱが広がっ…

金澤翔子書展

上野の森美術館で開催されている金澤翔子さんの書展に行ってきました。お金はらって書を見にいくのは初めてかも。絵や写真とちがって、書って何がすごくて何が良いかよくわからないんですよね。なんか皆エラそーだし。 翔子さんはことし32歳。「ダウン症の女…

山本玄峰老師

前回の続きです。うなぎの桜家さんに飾られていた山本玄峰老師(1866-1961)のもうひとつの書「母」。年を重ねるほどアリガタ久奈る? 希ガスとかの変換ミスではありません( ´Д`) 昔の人は当て字をよく使ったとか。「年をかさねるほど、ありがたくなる」ですね…