息をかぞえて

禅・こころとからだ

ジョージ秋山「弘法大師空海」

ジョージ秋山のマンガ「弘法大師空海」を文庫で読みました。1997年に集英社の「MANGAオールマン」で連載されていたんですね。幽体離脱、超能力、セックス。半分以上が秋山先生の体験談と人生訓なので、空海の学習マンガを期待してたマジメな読者はブッ飛ぶと思いますが、僕には面白かったです。

 

秋山先生は自己流の瞑想もされていたようで、最終回はその伝授だったりします。これが最近はやりのマインドフルネス瞑想とよく似ていて、時代を先取りしているというか大事な所は外してないというか。20年前ですからね。

 

珠玉のセリフ満載で。愛することができる人間に宗教なんかいらない、とかね。「すべての自殺は自意識が強いゆえじゃ」とか。

 

そうなんですよね。「あー死にてえ」とか「いっそ死んだら楽なのに」とか思ってるのは自分の頭の中だけで、首から下はそんなこと思っちゃいない。手や足に聞いてみてください。「死にたい」とは絶対返ってこないから。

 

「お前なんか死んじゃえ」的なニュアンスの、心ない言葉を投げてくる人もいるかもしれません。でもそれらのメッセージをどう扱うかも「自分の頭の中」の出来事です。真に受けてぐるぐるとループさせるのも「お前にオレの何がわかる」と切り捨てるのも、選択権は自分にあります。

 

自意識が強くなるほど、自分が傷つくことに弱くなるんですよね。一見、逆に思えますが。「自分」関連のワードが来ると、よいものもわるいものも磁石のように引きつけてしまう。真に受けてスルーできなくなる。僕自身がそうなので、よくわかります。自意識過剰はある種の「磁力」を生みます。磁力を帯びた者どうし引きつけあったり反発したり。

 

ただやはり坐禅や瞑想で自分の頭の中をみる、自意識の正体を見きわめていくと、その磁力も弱まっていく気がします。集中してる意識がバラけて、セルフイメージがぼやけてくる。「こうありたい」というナルシシズムから解放されていく。無意識過剰になっていくというか。

 

しかしどういうわけか禅や瞑想で我が強くなる場合もあるので( ´Д`)y━・~~、独学(ひとりよがりになる)はやめた方がいいし、指導者えらびは大事だと思います。指導者やグループぐるみで我が強くなったり、妄想しがちになったらサヨナラです。閉鎖的なのは危険ですよね。自分たちの頭の中に閉じこもってしまうから。

 

弘法大師空海」が連載されていた1997年はオウム真理教事件(95年)の直後。秋山先生によるオウム事件への回答、時代への問いかけだったのだと思います。僕が大学を出た頃で、まだ学生だった同じ大学の後輩が秋山先生のロングインタビューをとってきて、自分の同人誌に掲載したり。その後そのインタビューが商業誌の「クイックジャパン」に転載されたり。オウムや宗教の話もしてたと思います。

当時は「近くで起きてる遠くの出来事」と思ってましたが、いつの間にか近くまで来てました。