となりにすわる人

きのうは定例の坐禅会の日。今回はど忘れすることなく、無事参加できました。SNSで会のことを知った、僕の武術仲間の男性をつれていくこともあって。

 

たまに男性客の訪問もあるのですが、会の参加者はほとんどみんな、いつも女性。先生もシスターですので、「男は今までオレひとりだったのか!?」と今さらながらに気づく坐となりました。

 

かすかなんですけど、やはり明らかにちがうんですよね。すわってる時のかんじが。

 

十字架のイエスを前に、右はしにシスター。そのとなりに僕と彼で男ふたり。そのとなり、いち、にい、さん、し、と女性がならぶ。座蒲の上、息をかぞえてすわります。

 

いつもだと、海の白い浅瀬で、どこまでもプカプカと波がひろがっていくような感覚に聖堂が包まれるのですが、昨日はそこに、太い樹がずん!と立ってる感じが加わりました。オレンジっぽい色。熱っぽい。

 

男、なんですね。

 

シンボルの世界で「海は女」で「樹木は男」なのかは知りませんが、僕の感覚は、そうでした。陰陽のバランスがとれ、坐にメリハリがつく感じ。いつも以上に、とてもよくすわれました。

 

現実の海でも、抵抗せずに身をまかせればプカプカ浮くことができるし、公園とかで大きな木を見つけると、近づいてスッと寄りかかりたくなる。安心するんですよね。

 

女性があつまると、そこには涼しいさざなみのような空間が広がり、男がそこに加わると、ずしんと大地に根をおろす。ぼわっと熱くなる。

 

だまって息をかぞえ、しずかにすわっているうちに、そんな景色が見えてきました。

たしかに、この世界は、人と人でできている。

 

「人はただ存在しているだけで価値がある」

とか何とか言葉にすると、とたんに「うそつけー」ってなりますが、その人が言いあらわしたかった感覚も、あるいはこういうことだったのかな?と思ったりして。

すぐにまた忘れて、電車やカフェで見知らぬ人にイラッとくると思うんですけど。うるさいやつ。感じ悪いやつ。 男も女もかんけいない。でも本当は、そうじゃないんだろうな。

 

となりにひとりいるだけで、ひとりじゃなくなるんですよ。