息をかぞえて

禅・こころとからだ

雑念をおしのけるもの

毎朝の坐禅は15分を1〜2回。タイマーがわりに15分で燃えきる小さな香を焚いているのですが、今日はひさびさに1時間のロングスティック香を。

 

………。

 

……………。

 

 

 

 長い!

 

なまじっか時間があるので、うっかり何度も気がぬけます。来週の予定ばかり考えてます。

 

15分の坐禅でも雑念はもちろんわくのですが、短期決戦で息をかぞえることに専念すれば、「かぞえるはたらき」が優勢のまま、逃げきることができます。いうなれば「1から10まで息をかぞえてるのに、よぎる雑念が邪魔をする」状況。あくまでメインは「息をかぞえる」で、雑念に主役を奪われてはいない。

 

今日も最初は「ひとつ、ふたつ…」と息をかぞえていたと思うんです。そこにたとえば「病室、白衣、あの人の顔」という「雑念」が、ことばとイメージでふつふつとわく。いつもの15分なら「ハイ、終わってから考えよう!」とかぞえを上書きできるんです。あと少しの辛抱と、かぞえることにもどれる。

 

でも今日はひさびさの長丁場だったので、「この1時間をどう乗りきろう?」ばかり考えてたんでしょうね。「お香の減り」ばかり気にしてました。「もういいかい?」と。「まあだだよ」と。こうなると、なかなか減りません。もれなく「病室がー」「先生がー」「リハビリがー」と考えの切れはしがついてきます。たちまち木曜に予定のリハビリテーションのシミュレートがはじまり、消えていきます。息をかぞえることは、どこかにとんでいる。

 

お香の長さに「集中」し、息をかぞえることに「没頭」できずにいる。雑念ばかりがくっきりする。木曜のリハビリ、どうしよう? 帰り、なに食おう? 月曜のミーティング、うわ明日!?

(坐禅がうまくいっている時は「集中」ではなく、「没頭」してる感じになります。集中は、頭と目がギューッと力んでる感じ。重たく、暗く、熱っぽい。没頭は、しずかで軽く、あかるい。思考の「重さ」を感じない)

 

そんな感じで「1時間ほぼ雑念」だった本日の坐禅ですが、残りわずかとなった時。

 

雑念にいいようにやられ、「来週のスケジュール会議」がひととおり済んだせいか、「ひとつ、ふたつ…」と息をかぞえるはたらきが、もどってくるではないですか。

 

「みっつ、よっつ、いつつ…」

さっきまでのとりとめない思考は引き、スムーズに息だけをかぞえている。

雑念そこのけそこのけと「息をかぞえるはたらき」が立ちのぼってくる。ぐいぐいと。ひとりでに。おれ、なんにもしてないよ?

 

こうなると雑念の出る幕はないです。1から10まで、息をかぞえるはたらきがくりかえされます。自律的な力です。

 

この感覚は15分の短い坐ではなかなか出てこないもの。最後の最後、短かかったと思いますが、それまでのすべてを帳消しにできるくらいの確かさがありました。途中でやめないで、よかったね。