息をかぞえて

禅・こころとからだ

人を助ける

山口県の山中で行方不明になっていた2歳の男の子を、78歳の捜索ボランティアの男性が見つけ、家族に送り届けたニュース。こんな生きかたをしている人もいるのだなあと考えさせられました。僕も含めて、今の人って、お金もうけとか売名とか、(ほとんど無意識のうちに)何か見返りを求めて行動を起こしていると思うのですが、そうじゃない人もいるのだなあと。

 

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ニュース映像を見てて思ったのですが、このお爺さんの雰囲気や言動って、僕が昔からイメージしてた禅僧のそれなんですよね。この方はおそらく坐禅も何もやってないと思いますが、僕の中の「禅僧」ってこういう人でした。

 

東へ西へ、野山を踏み分け、人を助ける。野性のカンと深い智慧で、力強くあたたかく。

 

迷わず、こうと決めたら突き進む。

 

「人の命って重たいからね。高齢者だろうがちいさかろうが若かろうが(手と首を小さく振り)関係なくね、やっぱりひとつの命っちゅうのは、もうその人しか持ってない命やからね(手のひらを握りしめて)。

何か私にお手伝いさせてもらえることがあれば、ボランティア、お手伝いさせてもらいたいなと思って、昨日の朝9時半に出て、こちらに午後ついて、もうすぐ捜索に入った」

 

身ぶりと言葉にズレがないんですよね。言ってることとやってることが違わないのだと思います。

 

禅の公案もこんな風に実践できれば、と思います。普段のくらしで当たり前に。

 

宗教は生活に根ざした実践で、禅や仏教もその例にもれないと思いますが、大事なのは、誰かの痛みにふれた時、「これはやらなきゃ!」と思ったことを「おれがやるんだ!」と実行していくことで、またこのお爺さんのように宗教なんかなくても、自分の命とこころをよく知っていて、他人の命やこころも大切にできることが大事なんだと思います。

 

人生経験も必要でしょう。学ぶとしたらそこからだと思います。

 

この方は山登りが好きで、最初は登山道の整備のボランティアから始められたみたいですね。

 

「私はあんまり声が大きい方じゃないけどね!」とデカい声で言ってるとこもいいと思いました。