息をかぞえて

禅・こころとからだ

山本玄峰老師

 


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前回の続きです。うなぎの桜家さんに飾られていた山本玄峰老師(1866-1961)のもうひとつの書「母」。年を重ねるほどアリガタ久奈る? 希ガスとかの変換ミスではありません( ´Д`) 昔の人は当て字をよく使ったとか。「年をかさねるほど、ありがたくなる」ですね。

 

旅先でまさかの禅的体験。「仏縁ン〜?」とか「坐禅の功徳ゥ?」とか冗談半分で書いてたら、玄峰老師にハマってしまいました。

 

「もう一度ちゃんと禅にとりくんでみよう!」なんて殊勝な気分になってしまいましたm(_ _)m 

 

あー。

 

玄峰老師の存在は3〜4年前、最初の禅堂に行かなくなって別の寺や指導者を探してる時に知ったんですよね。調べものもして。国会図書館で著書や雑誌連載のコピーをとってました。ちゃんと読むのはこれが初めてですが(´Д` ) 取っといてよかった!

以下、玄峰老師を主語にどうぞ。「玄峰老師は昭和二十四年四月、鈴木貫太郎大将に会われ・・・」

 

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前回も「玉音放送に影響を与えた」と書きましたが、玄峰老師、太平洋戦争の終結に一役買ってたんですね。。。って、どこに居てどんだけ影響力あるんだ!?

 

現在の「象徴天皇制」も、玄峰老師のことばにインスパイアされて生まれたようです。

 

教科書に載っていいレベル( ´ ▽ ` )ノ

 

追い詰められた国の中枢にいてね、「負けなさい」ってふつう言えないですよ。神様だった天皇を「象徴」ともね。仏に仕える身とはいえ。

(原文は今回転載しませんが、この「象徴」も天皇をおとしめるニュアンスではないところがすごいんです。「嘘も方便」的な智慧から出たことば、という印象です。すごく禅的なの。計算じゃ無理)

 

これは最近の話ですが「坐禅は何の役に立つのか?」「何の役にも立たないのが坐禅だ」さらには「坐禅すること自体が坐禅の目的だ」的な物言いがあります。

 

たしかに、あるていど修行が進んだ人には通じる話だと思います。「集中力アップ! 効率UP!」とか「ジョブズも禅をやってた!」とか「Googleも瞑想してるぜ!」とか、禅ってそんなせこいもんでもないと思うから。

 

だけど「坐禅することが坐禅の目的だ」って居直られちゃうと、本意はちがっても誤解されますよ。外側にいる人たちにはわけがわからない。自己目的化、自己完結してます。「だったら一生すわってろ( ゚д゚)」って、昔のオラならきっとおもうな!

 

禅の外側にいる人たちに、禅は必要だと思うんです。きっと役に立つから。

 

「役に立つ」って個人の損得勘定のスケールで考えると「ビジネスガー」「効率ガー」とセコくなります。でも個人や損得の枠からはずれた「役立つ」もあると思うんです。

 

「戦争が終わる」とかね。我や執着では無理でしょう。

 

「今日の公案は日本をどうするかじゃーッ!」

 

と愛弟子のひとり(右翼の大物)を一喝したエピソードも玄峰老師にはあります。原爆の後、大空襲の前。ここでの三日三晩の問答もまた、終戦につながっていったようです(老師は「終戦」というレトリックを許さず「敗戦」と断じていたようですが)。

 

 

「日本をどうする?」とはいささかスケールがでかいですが、まさに「生きた公案」。禅は役に立つんです。