息をかぞえて

禅・こころとからだ

サンガくらぶ番外編 塩澤賢一3連続ヨーガ講座「呼吸をしずめ、心をしずめる」(第2回のおさらい)

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さる
11月7日(木)におこなわれた、3連続ヨーガ講座の第2回。テーマは「プラーナヤーマ」でした。左右の鼻呼吸を、ある一定の規則でおこなう、ヨーガ特有の呼吸法ですね。「プラーナ」はサンスクリットで「生命エネルギー」。「アーヤーマ」は「制御、制止」となります。

 

左から4拍(4秒)すって、まんなかで4拍とめて、右から8拍ではく。右から4拍すって、まんなかで4拍とめて、左から8拍ではくーーといった具合に、左右交互の鼻呼吸を、呼吸の一時停止(クンバカ)をはさんで、一定回数くりかえしていきます。

 

ヨーガをはじめる前や、はじめたばかりの頃は、何のためにこんなことをしているのか、よくわからなかったのですが、規則的な鼻呼吸をつづけていると、息がゆっくりになってきて、気持ちが自然と瞑想モードに移行していくんですよね。

 

この日の講座では、さまざまなバリエーションのプラーナヤーマを長時間おこなったせいか、それにともなって起こる、肉体の変化もよく感じられました。肩や肘などの関節がゆるみ、みぞおちのこわばりが「ふうっ」とぬける感じです。

 

ただ、参加者のなかには「つづけているうちに体が緊張してきた」とおっしゃっていた方もいらしたので、効果のあらわれかたは人それぞれ、技術の習熟度などにもよるのだと思います。僕も、はじめてしばらくのうちは、手順どおりに呼吸するのが精いっぱいで、体の状態に気をむけるだけの余裕もなかったと思います。息も長く続きませんでした。

 

プラーナヤーマをおこなうことで、息がゆっくり、落ち着いていくと、「すう」「はく」の振幅がなだらかになっていきます。上達するにつれ、どこまでもなだらかになり、ほとんど止まっているような息になるとか。

講座の途中、「指をおいてみてください」と言われたので、塩澤先生の鼻の下に、しばらくのあいだ、人さし指をおいてみたのですが、たしかに息の出入りは感じられませんでした。ふつう、生温かく、しめった風(鼻息)が、ふわあっと当たるものですが。

 

道元禅師の『普勧坐禅儀』にある「鼻息(びそく)微通(かすかにつうじ)」とは、この状態を伝えているのだろう、というのが塩澤先生の見解でした。

 

「息が止まる」と聞くと、「心臓も止まる死ぬ!?」と連想して、ちょっとドキッとしますが、心臓はあいかわらず活動をつづけているそうです(鼓動のペースはゆったりしてくる)。

 

感覚的には、呼吸の「回数」はむしろものすごく増えていて(こまかく微細な振動になっていて)、出入りする息の「量」がかぎりなくゼロにちかくなっている、とのことでした。

波にたとえるなら、粗い呼吸が大波で、おだやかな呼吸がさざ波、さらにさらに呼吸がおだやかになっていくと凪(なぎ)の状態になる、といったところでしょうか。風が止まるで「凪」なんですね。

 

波ひとつない、凪いだ海も、人の目にそう映るだけで、海の水そのものはさまざまな流れで、止まることなく動いているはずです。静中の動、動中の静のただなかにある。

 

呼吸の一時停止である「クンバカ」も、「水がめに水をみたし、フタをしてこぼさない」が原義だそうです。プラーナは基本的に、サンスクリットで「風」を意味する「ヴァーユ」(プラーナヴァーユ)とよばれるようですが、ここでは「水」にたとえられています。体が水がめ、呼吸が水です。

 

 

「サンガジャパン」Vol32掲載の、塩澤賢一インタビューの発言にもあったのですが、

 

・「息が静かになれば心も静かになる」というのがハタヨーガの原理原則ですから。

・プラーナが満ち、息が止まった瞬間、観えてくるものがある。これがハタヨーガの止観です。

・プラーナをいっぱい入れて、鼻息微かにしていって、あわよくば止まる。ハタヨーガを定義するなら、呼吸から最後まで離れずに「呼吸って何なのか?それを観ているのは何者か?」と問い続けるシステムです。

 

と、呼吸と瞑想(止観=サマタとヴィパッサナー)、息とプラーナは、親密な関係にあるようです。

 

3連続講座も、次回で最後となります。次回は1212日(木)、「アーサナ」がテーマとなります。

 

samgha.co.jp