息をかぞえて

禅・こころとからだ

自分のルーツ

つい最近のことですが、自分の父がたの家系について知る機会がありました。

 

うちは引っ越しが多かった核家族で、祖父は父がたも母がたも僕がうまれるずっと前に亡くなっていたので、おじいちゃんってどんなものかよくわからなかったし、それより上の世代のことも全然ぴんと来なかったんですよね。父もそういう話はしなかったし。

 

今回わかったのは祖父、曽祖父、曽々祖父あたりまでだったんですけど、僕が「自分個人のパーソナリティ」と思っていた二、三の要素を、じっちゃんやひいひいじいちゃんがはっきりと備えていて、ちょっと笑えるほどでした。

 

自分個人のパーソナリティ。戦争や右翼思想がだいきらいだったり、人生の中ごろから坐禅をはじめたり。「理由はないけど、俺はなぜかこうなのだ」とおもっていたことが、じっちゃんや、そのまたじいちゃんの人生の象徴的な出来事だったりした。

 

核家族に育ち、各地を引っ越してまわっても、影響めちゃくちゃ受けてたんですね。

 

家系ってばかにできないと思いました。

 

僕には霊感がないので、自分の前世とかみたことは一度もないのですが、「事実上の前世」みたいなものを見た気がしますw。

 

前世に興味がある人は、まずは家系をしらべてみるといいと思いますよ。いろいろわかって、スッキリすると思います。

 

ただ、じっちゃんたちの人生は彼らのもので、どんな終わり方であれ完結しているので、僕がその道に沿って歩く必要もない。というか、歩けない。禅的にいうなら「屁のひとつの貸し借りもできない」ってやつです。

 

自分が肉体的、環境的にどんなルーツから生まれてきているかがわかったら、それをふまえて、じゃあ今の自分に何ができるか、何をしたいかということをあらためて考え、生きていく。「自分のパーソナリティ」と思い込んでいるものも含めた、自分のルーツにこだわりすぎずに。