息をかぞえて

禅・こころとからだ

恋した時に痛むのは?

あの子への想いがズキズキと痛みます。よく笑うあの子。いたずらな目のあの子。誰にもやさしいあの子。はあ。

 

恋です。

 

ズキズキと痛んでるのはどこか?

そもさんせっぱ、「痛みのありか」はどこじゃ?

 

胸!

 

うん、胸骨からみぞおちにかけてズキズキしてる。爪を立て、かきむしるように。痛みどめ、消炎剤。お薬をちょうだい。

  

こういうとき病院や薬局に行くバカもいないと思いますが、お酒は飲みますよね。痛みがまぎれるから。アルコールで神経を麻痺させてる、のかな?

 

一方で「シラフで痛みを感じ切れ」という人もいます。感じ切れば痛みは消えると。これね、やったら効果ありました。逃げられないから、すっごい苦しかったけど。頭痛や腹痛と基本一緒で、時間が経てば痛みは消えます。

で、ここからが本題で、痛みを感じてるとき思ったんです。これ、本当に「胸が」痛いのか?って。

 

胸骨からみぞおちにかけて、その一帯の「空間」に「痛み」が起こってるだけなんじゃないの?って。

 

え?

 

はい。痛みのありかは、肉体ではなく、実は「その肉体がある空間」の方では?と僕は言ってます。稲妻がジーッと空を走るように、痛みがビッと空間を走ってる。空間を感覚だけが走ってる。その感覚を感じてるのも、また空間。意識をともなう空間です。

そこには肉体もあるのですが、後づけというか。空間じたいが意識で、体はハリボテの着ぐるみ?(着ぐるみの「中の人」はいません。いるならむしろ「外」ですね。いや中も外もないか。空間全部で体やら痛みやらを感じてる)

こうなると頭痛も腹痛も胸の痛みも、そして「肉体がある」という実感すら「感覚」として等価値です。どれもこれも空間に現れている「感覚」なわけだから。

 

スミマセン。ついてこれない方も出てきてると思いますが、もうちょい続けさせてください(>_<)

 

バカ言うな、ですよね。胸の痛み。そう、一歩あるけば、空間における「胸」の位置は移動します。一歩前に出れば、さっきまで「胸があった空間」は背中の後ろです。そこに痛みはありません。ただの空間で、叩いてもなでても空を切るだけ。目下ズキズキしてる「空間」は一歩前の「いま胸があるところ」に移動してます。(その空間を肉体が占めている)

一方で肉体そのものをみれば、痛みのある所はやはり「胸」です。こちらは何歩あるいても動かない。何歩あるいても同じところが痛い。痛みからも体からも逃げられない。

 

なので、やっぱり「痛みのありか」は空間じゃなくて、この体じゃないか! そう思うのが自然ですよね。なにを当たり前のことを!

 

なんですけど、その感覚がひっくり返る感じが出てきます。坐禅を続けてると。

「痛み」があるのは「肉体」というより、むしろ「空間」、「痛みを感じてるこの体をも包んでる空間」ではないのか? そんな感覚が出てきます。妄想と呼ぶには実感をともなってます。

 

体という着ぐるみを一度脱いで、裏返した感じ? 痛みも体もぽっかりと浮いている。空間が「痛み」や「肉体」という「感覚」を生み、そして感じている。わたしは空間であり意識。痛みや体はそこにチカチカと現われる瞬間的なもの。

 

だからといって「痛くても平気!」とはならないのが、ざんねんなところです。やっぱり痛い。前より鋭い痛みかも。だけどなぜだか耐えられる。お酒がなくても耐えられる。

 

やっぱり胸がズキズキするなあ。かわいいあの子。あーもうやだ。