息をかぞえて

禅・こころとからだ

ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか?』

年末年始、時間ができたので、ある人にすすめられた『なぜ今、仏教なのか?』(ロバート・ライト/早川書房)という本を読みました。著者はアメリカの著名なサイエンスライターで、進化心理学に精通し、マインドフルネス瞑想も実践している方のようです。瞑想を通じてささやかな神秘体験もし、それでいてオカルト(輪廻転生や前世からのカルマなど)とは一線を引き(その態度が宗教をあつかうに際して適切か不適切かは別として)、進化心理学の原理である「自然選択」にもとづく人間観で、「無我」「空」「悟り」といった(あいまいになりがちな)ことばに現代的で明確な定義をあたえていきます。

 

瞑想者としてはそこまで高いレベルの方ではないと思うのですが(それは本人も何度も強調している)、著述家としての洞察力と構成力、情報収集能力がものすごく高いせいか、「瞑想中に起きているささやかなこと」をソースに「無我」や「空」といった「仏典に出てくる言葉」を具体的なものとして、ごまかすことなく説明していきます。思考の範囲で可能なかぎり。空理空論におちいることなく。見事なものです。

僕がずっとわからないままでいる「自我のはたらき」についても、見通しのよい説明を提供してくれました。すべてが腑に落ちたわけではないけれど、ずいぶんとすっきりしました。


良い読書はひとつの体験となり、新しい視点を与えてくれます。そこから新たな問題提起をしてくれます。この本を読んでいて、僕の中でクローズアップされてきたのが「心の声だけに従ってていいのか?」ということと「好き嫌いだけでものごとを判断してていいのか?」ということでした。「心の声にしたがう」も「好き嫌いで判断する」もここ数年僕のイデオロギーみたいになってきていて、また「正解のない時代」を生きるひとつの指針として、世間でも力をもってきている考えだと思うのですが、本当にそれで大丈夫なのか?と。(つづく)