息をかぞえて

禅・こころとからだ

善悪はポイントカードのように

トランプと金正恩の握手、いざ目にするとやはりビックリでした。韓国の大統領とのツーショットも信じられませんでしたが、それ以上のインパクト。文大統領は以前から「融和路線」の印象があったけど、トランプは「アメリカ最後の大統領\(^o^)/ 」と揶揄されてきた男。とにかく好戦的! 言葉が乱暴! 数々の問題発言に「第三次世界大戦はコイツが起こすのでは?」と危惧した人も多いと思います。

生い立ちはずいぶん違うでしょうが、トランプと金正恩、「危険な独裁者」のイメージで見られているという意味では、似たもの同士ですね。もっと言えば「悪人」です。

そんな「世界を代表する悪人」のふたりが、「対話」という平和的な選択をしたことへの驚き、意外性。中国やロシアの動き、今後日本が受ける影響など、お花畑的な平和が待ってるとは思いませんが、悲観的な予測は政治評論家のみなさんにまかせて、とりあえず僕は今日の出来事を喜びたいと思います。


何が正義で何が悪か、善悪の基準がはっきりしなくなって結構経ちます。立場が違ったり状況が変われば、善も悪もコロコロ変わる。さいきんでは「ウソだとバレても居直ればいい」みたいな考えかたも、わりと普通になってきてる気がします。なんか感覚が麻痺してきてますよね。

こういう時、相手のペースに巻き込まれず正気を保つには、「昔の偉い人」を参考にするのが良いのでは?と僕は思います。「今の時代の常識」からなるべく遠くにいる人たち。

聖徳太子とかね、孔子とか。ガンジーキング牧師でもいいですけど。

僕は坐禅をやったり、カトリック坐禅会に通い、聖書にも興味を持つようになったので、禅でよしとされてること、ブッダやキリストがよしとしていたことを基準に、善悪の判断をするようになってきていると思います。彼らのことば全てを実行するのは無理ですけど(´・ω・`)

なので「言ってることとやってることが違う」状況はこれからも続くと思いますが、少しでもその差がちぢまればいいな、とも思ってます。できそうなやつからやっていく。悪い行ないよりは、善い行ないを。


以前ある編集者に「お前の原稿は、性善説でまとめるワンパターンだな」と笑われたことがありますが、いまは性善説で何が悪い?と思いますね。

 

「善」も「悪」も相対的な概念で、だから人間に「性善説」も「性悪説」もないんです。善を選べば善になるし、悪を選べば悪になる。それで僕は善を選びたいので善を選ぶ、それだけのことです。その時の善悪の基準は、くりかえしになりますが、僕の場合は禅や仏教、キリスト教のそれが基準になりつつあると思います。あとヨーガもやってるからヴェーダヒンドゥー教もか。

要は「命をたいせつにする」とか「自分にも他人にも苦しみを与えないようにする」とか、当たり前といえば当たり前のことばかりで。やって気持ちのいいこと、人に喜ばれること。昔の人は今より「命」や「自然」に近かったぶん、シンプルだなーって思います。


これは坐禅をやってるうちに出てきた感覚で、いきなり現代に飛びますが、「善い行ない」も「悪い行ない」も「ポイントカードみたいだなあ」って思うんですよね。やればやるだけ「善ポイント」や「悪ポイント」がたまっていく。一定数たまると、善人になったり、悪人になる。

それは人相や雰囲気としても現れ、結果好かれたり、嫌われるようになったり。まあこれって、仏教やヨーガ(の母体であるヒンドゥー教)の「業(ごう)」とか「カルマ」の発想だと思うんですけど、そういうものを実感として感じるようになってきた。まわりの人を見ていても。

 

トランプも金正恩も、パブリックイメージとしての「悪ポイント」は相当たまってると思うんですけど、今回のように善い行ないをすれば、「善のポイント」もたまると思うんです。ポイントカードと一緒で、1ポイントや2ポイントじゃ何もできませんし、今まで貯めてきた悪のポイントを消化していく必要もあると思いますけど。

ウソをつくのもそうだけど、悪いことばかりしてるといい加減イヤになりますよ。頭と心はごまかせても、最後は体が音を上げます。


善悪のポイントが加算され、いずれ精算される仕組みは、万人に共通な気がします。だからなるべく善い行ないを。

まだ「なんとなくそう思う」レベルで「断言」まではできませんけど。自分で試して、これからの人生で証明していければいいなあと思っています。

 

相撲の勝ち星にたとえるなら「8勝7敗」くらいでいいから、日々の暮らしを善い行ないで勝ち越せるようになりたいですね。