息をかぞえて

禅・こころとからだ

寝ても覚めても。

ライターの仕事で対談の取材。伝統芸能の先生とスポーツ選手の顔合わせでした。

 

伝統芸能の先生が瞑想をやっているとのことで、私も体験。ほの暗く静かな中で、赤、黄、青、紫、線香花火のような光がチロチロ見えてきました。富山湾を泳ぐホタルイカのようです? こういうことはたまにあります。

後で先生に告げると、「あんたすごいよ!」とおほめの言葉。

何が「すごい」かは覚えてませんが、うれしかったですね。だいたいそんなところで目が覚めました。


夢だったという(´・ω・`)

 

さいきんは夢の中でも瞑想するようになったようで、でもそれなら起きてる時にもっと坐れよと思いますね。ヴィパッサナー瞑想の合宿後、「朝晩1じかんずつ坐るぞ!」とか息巻いてたのに全然なので。

 

でもね、夢の中での瞑想が、起きてる時のそれと同じ視点だったのは貴重な発見でしたね。

起きてる時、夢を見てる時、通底している意識があるんだなあと実感できたので。あとは「熟睡でブラックアウトしてる時」が加われば最強ですね。この時の意識に気づけば、24時間マインドフルネスです?

 

荘子の「胡蝶の夢」でしたっけ? 蝶として飛んでたらそれが夢で、目が覚めた荘子が「おれが蝶の夢をみていたのか? それとも今、蝶がおれの夢をみているのか?」と問いかけるという。

同じものが蝶として舞い、俺として「?」を浮かべてるんでしょうね。同じとこからみている。

 


これね、けさ夢で見たのをすっかり忘れてたのを、瞑想してる時に思い出したんですよ。

僕はよく夢を見て、いつもだいたい忘れてしまうのですが、これも「忘れる」というより「目が覚めて、自意識が前面に出てきてる」だけなのかもしれません。

だから坐禅や瞑想で自意識が弱くなると、またひょこっと出てくる。他の記憶と同様、下の方に沈んでたやつが。

 

寝ても覚めても、同じところでみてるんでしょうね。