息をかぞえて

禅・こころとからだ

「心の闇」は暗くない

東京はまさかの雪。変わりやすい天気が続いています。晴れたりくもったり雨がふったり。こころも天気みたいだなとよく思います。ゆううつな曇り空が続くと「鬱」ということになるのでしょうか。ずっと晴れだと「躁」なのかな。晴れたり曇ったりでちょうどいいのかもしれません。

 

明るくなったり暗くなったりする「こころ」ですが、「心の闇」とか言われだしたのはいつ頃からでしょう?  14歳の少年が連続猟奇殺人を犯したサカキバラ事件(1997年)以降? 戦後数十年では前例のない出来事だったので、多くの人々に大きな衝撃と深い傷を与えたと記憶しています。「まさか子どもが?」と。

 

常識的な理解を超えていた彼の行動に、得体の知れぬ気味悪さを感じ、その内面を「闇」と表現したのなら、よくわかります。僕も同じように感じ、「心の闇」という言葉を受け入れてきたのだと思います。

 

「普通の人」によるむごい事件が増え(あるいはそのように報道され。実際はいつの時代もそうだったのかもしれませんが)、「一部の人」がかかるものだった鬱病などの精神疾患も流行し、この20年で「心の闇」という言葉も一般化したように思えます。「病み」とか「病んでる」とかもね。ヤミつながりで。

 

明るそうな子が「病んでます」とか「闇抱えてます」とか。今や普通の光景というか。

 

もちろん、闇の「暗度」は人によって違うと思います。それこそ犯罪まで行ってしまう人。継続的な治療が必要な人。一時的にハマってるだけの人。繊細すぎて傷つきやすいだけの人。

 

僕も闇は深い方で、心の暗がりに怯えていることが多かったと思います。神経質で他人や社会への攻撃性が強く、それが高じて自己破壊に向かう。一見おとなしそうに見えるんですけどね。まさに「闇」だわな(´・_・`)

 

自分で自分をコントロールできなくてね。内側からとり殺されるような衝動。大好きなはずの人やお世話になっている人に対して、ひどいことを考えてしまったり。してしまったり。10代以降、20〜30代が一番きつかった。

 

「オレの中、いったいどうなってんだ!」って思いますよね。得体の知れない何かが渦を巻いてるようで。「悪意」とか「狂気」とか名づけてもいいけど、それだけじゃ何も解決しない。

 

胸に穴があいている。風が吹いている。焼けつくようにヒリヒリしたり。中を覗こうにも怖くて見れない。痛いのきらいだし。まぎらわそうと酒や人肌に溺れて。ますます溺れて、底なしの闇に沈んでいく。。。

 

 で、いろいろ省きますけど、禅や瞑想の経験をへて、「心の闇」って言うけど決して「真っ暗」でもないし「穴があいてる」わけでもないんだとわかってきました。

 

自分の心を直視せず、目をそむけているから、「見えてなかった」だけの話で。それが「真っ暗に見えていた」だけで。

 

そのひとつひとつは「思い」だったり「記憶」だったり「感情」だったり。それらに伴う「感覚」だったり。得体の知れない「心の闇」とやらが存在してるわけではない。

 

「心の闇」って、「ずっと目を背けてる思いや感情、それに伴う感覚」のことなんだと思います。目を向ければ見えるんです。見えるということは「明るい」ということです。それはもう闇ではない。

 

自分に目を向ける。ノートに思いを書き出すとかの方法も悪くないけど、経験上、限界がある気がします。自我で自我を追ってるわけですからね。カウンセラーとの対話や禅、瞑想の方が「自分がよく見える」と思います(禅や瞑想も「自分以外の視点」から自我や思いが「見えてくる」ものだと思います)。

 

たしかにね。見るに耐えないおぞましい思い、感じきれないほどの激しい憎悪、それはあるでしょう。僕とかはまだ背負ってるものも小さかったり、手助けしてくれる人にも恵まれていたから、「見る」ことができたのかもしれない。

(サカキバラ氏が子供の頃に描いた絵とかみると、身の毛がよだつというか、それこそ「闇深いわ」と思います。こいつに生まれてきてたら大変だったろうなと。でもそれにしたって「闇」というよりは「業(行為)」というか「思い」や「感情」「感覚」のかたまりで。覚悟を決めて向き合えば、ほどいていくことは可能だと思います。手記出して目立ちたいとかじゃなくってね。あれは自分から逃げ続けてるだけですよね)

 

 

禅や瞑想で訪れる「闇」もあって、そこは真っ暗というよりはほの暗くて、あたたかい感じがします。攻撃性や衝動、ドロドロした思いもそこからわいてくるけど、逃げずにいれば(呼吸に気づいていることが命綱になると思います)、むこうから去っていく。静けさの中に散っていく。しつこいやつはストーカーのように何度も出てくるけど。 でも最近パワー落ちてきてる気もするな。すわることで削れてきてるのかな?

  

闇そのものは、こわくもおぞましくもないんですよね。

 

(修行が進むと「魂の暗夜」なるものが訪れるという話もあります(キリスト教神秘主義者の十字架の聖ヨハネなど。ヴィパッサナー瞑想のマハーシ・サヤドーの本にも似た記述がありました)。この「闇」は虚無感に支配されているようだから、闇も「あたたかい」だけじゃないみたいですけどね)