息をかぞえて

禅・こころとからだ

タンポポのようにすわる

塩澤賢一先生に教わっているヨーガの影響大、なのですが、さいきん反跏趺坐や安楽坐(スカアーサナ)を組んですわっていると、植物のような身体感覚が出てくるようになりました。

 

背骨が伸びると茎が空に伸びていく感じ。両脚と坐骨が落ち着くと葉っぱが広がってく感じ。木でも花でもいいのですが、タンポポが一番近いかな? 葉っぱが受け皿みたいに広がっている、あの感じ。椅子にすわったり座蒲に正座でもいいかなと思ってた時期もありましたが、それだとこの横のひろがり、植物的な感じは出ないですね。脚を組むことでひろがりがでる。横にひろがると縦にも伸びる。

 

タンポポってたくましいですよね。どこにでも生えるしどこにでも飛んでいく。人が世話しなくても生きていく。

 

禅はどうなんでしょうね? 一度タネが落ちて芽をだしたら(5分でも禅の習慣がついたら)、本人の意思とは無関係に、勝手に伸びていく場合もあると思います。野生のタンポポのように。さぼったり、いっとき離れても、何かの拍子でまた無性にすわりたくなる。

 

でも同時にこうも思います。タンポポみたいな強さはないと。野生ではなく鉢植え。タネを植え、日々水をやり、面倒をみる必要がある。そうしないと芽も出ないし、茎が伸びても枯れてしまうだろう。

 

だから水をやるように日々すわる。

 

花が咲いたからってハッピーエンドではない。花が咲くのは一瞬で、花は全部の一部です。花が枯れても水をやる。

 

すわって植物になった感覚がでてくると、坐禅は水やりなんだなと思います。花に水をやると、うれしそうじゃないですか(^^) 茎や葉のミドリが水をはじいて、うぶ毛がキラキラして。外側からみていたあの感じが、内側に感じられるようになる。水やりして元気になった花のように。色もね、あんな感じです。明るくてね。

 

だからやはり即効性や劇的な効果みたいなものは、禅には求めない方がいいのかもしれないですね。タネをまいたばかりで「いつ芽が出る?」「いつ花が咲く?」って、じーっと見ててもしょうがないでしょ。

 

昔、ベランダで鉢植のカランコエを枯らせそうになって、わずかに生きてた枝と葉に水をやり続けました。2週間、3週間、ひと月。おかげで青々と葉がしげり、ああよかったと思ったら何か様子が違う。葉っぱがギザギザしてるんです。どこかで見覚えがある。

 

タンポポでしたね。どっかから飛んできた。もう間引いてやろうかくらいボーボーに伸びましたよ。