息をかぞえて

禅・こころとからだ

山本玄峰老師その2

玄峰老師が住職をつとめていた三島の龍澤寺は、江戸時代にかの白隠禅師が再興した寺で、老師は「白隠の再来」とも言われていたようです。

 

仏教誌の「大法輪」だったと思いますが、図書館でみつけたバックナンバーに良い記事がありました。「白隠による示衆(じしゅ/説明)」を引き合いに、玄峰老師が数息観を解説しているものです。語り口調がまたいい。一部掲載&引用させてくださいm(__)m 

 

f:id:nowhereman-yes-love:20170924003008j:plain

 

「どんな大切なことを人と話すにしても、自分の息が数えられないようなことだったら、ほんとうのことはできやせん。それじゃから人と大事な話をしたりするときは、第一に息をしずめて、全身、足の先から頭の先までずっと一つになってやる。それじゃから、物を言うても心が時にふれて言葉になって出てくるのである。言葉を変えて物をいう人は心得て注意せにゃいかん。言葉を、声を変えて物をいっている。いいかげんなことをいう。頭でただこしらえていうからいかん」

 

息をかぞえることの効用や影響について、これほど核心を突いてまた拡がりのあるものは、ちょっとないと思います。「呼吸法」とか「身体感覚」とか「実用性」とか、ひとつのものを分けてバラバラに扱ってるようではいけないのだなと反省(-_-) それって「分別」が働きまくってるわけで。

 

この「小分けにできない」感じが、本来の禅なんでしょうね。続けます。

 

「身体を斉整せしめ、数息観をやる。そうして一則の公案、直に断命根(だんみょうこん)じゃ。肉体の中にある貪瞋痴(とんじんち)、八万四千の妄想、この命根をすっきり断たにゃいかん。そうなると本来の面目がガラッと開ける。八万四千の妄想も煩悩もふっとぶ。ちょうど大般若の十六善神がみな悪人だった、それがみな護法善神になってくる。自分らもそうじゃ。何もやりかえるわけでも、入れかえるわけでもない。自分で持っておるのじゃ」

 

84000の妄想、この命根をすっきり断たにゃいかん! 息の根を止めろと。根こそぎ行けと。雑念どもは皆殺しψ(`∇´)ψ テンションあがります!

「ひとーつ、ふたーつ」と息をかぞえるのは、このためだったのだなあ。

 

そして注目すべきは、雑念、妄想、煩悩を坐禅で皆殺しにすると、みんな生まれ変わって味方になってくれるというところ。「大般若の十六善神」うんぬんは、どうやらそういうことのようです。悪魔超人や残虐超人がつぎつぎと正義超人になっていく『キン肉マン』パターンですね。これは非常にたのもしい。将棋の方がわかりやすいか。取った駒は好きに使える。自分を苦しめていた敵が、心強い味方になる。

 

「渋柿が甘柿になる。渋柿でなければ甘柿にならない。渋いも渋い。それが途端に甘柿になる。人間もそうじゃ。悪にも強いやつが善にも強い。ヘナヘナしておるやつは何も役に立たん。甘いやら渋いやら、融けたのやら砕けたのやらわからんような人間はだめである」

 

渋柿でなければ甘柿にならない。悪にも強いやつが善にも強い。これも励まされるというか、ひとつ謎が解けそうです。

 

柿の「渋み」をその人の「悪い癖」、「甘み」を「いいところ」として読んでみる。

 

現在の一般的な教育では「短所を矯正して長所を伸ばす」と考えることが多いと思いますが、これそうじゃないですよね。短所がそのまま長所になる。何も減らず、何も増えてない。ただ転換、逆転だけが起きている。だから「心を入れ替える」必要はない。

 

子煩悩な元ヤンとかね。まっすぐで情に熱い人。「あの頃から変わってないぜ!」ってダチも証言してるしなあ。坐禅はやってないようですけど、必要なかったんでしょう。

 

禅をやっていくと、「みんながそうしてるから」だけの理由で身につけてきた常識や価値観が、身にそぐわないものとしてどんどん落ちていく気がします。自分に必要ないものは。良くも悪くも、その人本来の性質がハッキリ出てくる。なので「なかなか消えない悪い癖」がしつこく残るというか、目につくようになるんですよね。個性や本性といってもいいのかもしれないけど。自分もそうだし、先輩がたもそう。公案がひと通り終わったら、いきなりカネにがめつくなった人とかね(゚O゚) めちゃめちゃ真面目に修行してきたのになぜ?って、ずっと謎だったんですけど。

 

まだ途中経過なのかも。公案が終わっただけで悟ったわけじゃないし。「本来の面目がガラッと開けて」はいない。がめつさも突き抜けたら、甘くなるのかも? 

 

僕の「悪い癖」もそうかもしれません(−_−#)

 

84000の雑念を皆殺し。玄峰老師のところには「刑務所に十一回も入ってきた男」がいたそうで、それはもう死ぬ思いで修行をしていたようですが、その後どうなったのか気になります。