息をかぞえて

禅・こころとからだ

沙門空海 唐の国にて鬼と宴す

夢枕獏の小説で、心ある人から薦められていたのですが、いやすごかったです。完結まで17年かかったとか色々とすごいのだけれど∑(゚Д゚) ひとつ挙げるなら「たっぷり坐禅を組んだ後に街を歩くときの感じ」が再現されている。空海真言宗禅宗ではないけれど、こまかいことはいいじゃないですか。色も音も匂いも、人の気持ちや吹く風も。あたたかさを伴った霧のように、こまやかに流れ込んできます。

 

ハイな状態で録音されたビートルズボブ・マーリーの音源が、独特の響きを持っているのにも似て。もうすこし、おだやかですけどね。知覚のゆがみやズレはない。

 

般若心経の描写とか唸らされます。大音声(だいおんじょう)で響きわたる。僕の場合は「音なき音」という感じだったのですが、以前の接心(せっしん、坐禅の合宿みたいなものです)で似たような体験をしたことがあります。

お経なので声を出してギャーテーギャーテーと唱えるわけですが、「ああ声に出さなくても常に鳴ってるんだな」と、声を出しながら気づいたというか。オーディオでたとえるなら、ヴォリュームはゼロだけど音源はつねにギャーテーギャーテーと再生されている。声を出すのは、ヴォリュームのつまみを上げていくくらいの役目にすぎなくて。音なき音として常にこの空間で鳴っている。

 

お経だけでなく音だけでなく、色や思いも同じ仕組みで現れたり消えたりしているのだろうなと。

 

そんな不確かな世界で、じゃあどう振る舞うか?という話になってくるのですが。夢まぼろしのような世界でも、死んだ人は生き返らないし、昨日には戻れないですからね。哀しいかなそれだけは確かなことで。この作品はそこのところに喰らいついていきます。

 

夢枕獏先生の作品を通して読んだのははじめてだったのですが、同時代のお坊さんや学者が書いている仏教の書籍で、ここまで目のさめる思いをするものはなかった気がします。もちろん仏教関連の書籍ぜんぶに目を通してるわけではないですが。

 

エンターテインメントで宗教からも逃げてないって、すごいなあ(((o(*゚▽゚*)o)))