息をかぞえて

禅・こころとからだ

礼拝堂の坐禅

かれこれ7〜8年? 指導者について坐禅を組むようになり、それくらい経ちます。

今は広尾の聖心女子大学修道院でおこなわれている坐禅会に通っています。主宰者はカトリック(聖心会)のシスターで、在家の禅団体(三宝禅)でも修行されて禅教師の資格をとられた方です。信仰の有無をとわず、入会制度や会費もない、自由参加の坐禅会をおこなっています。僕も特定の信仰は持たないので、「在家の禅者」という立場で坐禅に取り組んでいることになります。

夕陽が背中から差し込む、こじんまりとした礼拝堂ですわります。1時間を25分ずつ2回にわけてすわります。十字架のイエスの前ですわります。坐蒲(ざふ)の上、脚を組んですわります。

礼拝堂での坐禅は、男性的でモノクロームな寺の禅堂でおこなうのとは、やはり少しちがいます。あたたかくやわらかい静けさ。ふんわりきよめられた感じ。女子修道院ですしね。ユリなど季節の花がいつも活けられており、目に心に、うるおいがもどります。しおれているのを見たことがありません。堂内もとてもきれいに掃除されています。

帰り途はなんだか、花のようにすっきり歩けます。渋谷の人ごみを歩きます。

本当は昨日も坐禅会の日でしたが、友達と会う約束をうっかり入れ、休んでしまいました。ほぼ毎回参加しているのに、たまにど忘れする。手帳を持っているのに、なぜ使わないのか?

ひとつ、ふたつと息を数える。間が抜ける。なかなかなおってくれません。

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